ケンタッキーフライドチキンの日本1号店はどこか?
皆さんケンタッキー・フライド・チキンは好きですか?私は好きです。
そんな、ケンタッキー・フライド・チキンには知られざる秘密が色々とあったので、いくつか紹介させていただきます。
明日から雑談に使える事間違いなしです。
名前の由来
ケンタッキーフライドチキン(正式名称:KFC)の本社はアメリカ州にあります。
アメリカにある「ケンタッキー州」が名前の由来となっていますが、アメリカ第1号店はケンタッキー州ではなくてユタ州(ソルトレイクシティ)だそうです。
「ケンタッキー(Kentucky)」は先住民族の言葉で「明日の大地」という意味らしい。
参照:KFC公式サイトより
カーネル・サンダースってどんな人なの?
言わずと知れたケンタッキーフライドチキンの創始者である、カーネル・サンダースさんですが実は本名ではないのです。
本名は「ハーランド・デーヴィット・サンダース」です。
では、なぜ「カーネル・サンダース」と呼ばれているのでしょうか。
「カーネル」という名前は、ケンタッキー州に大きな貢献をした人に与えられる称号からきています。
サンダースは慈善事業でケンタッキー州に貢献した事が認められて「ケンタッキー・カーネル」という称号が与えられています。
そこから「カーネル・サンダース」と呼ばれるようになりました。
すごくないですか?
フランチャイズ化したのは〇〇才の時!?
サンダースは1930年9月にガソリンスタントの物置を改装してたった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きました。
この時の看板商品がフライドチキンでした。そして1939年に9年も試行錯誤して完成させたオリジナルレシピ“11ハーブ&スパイス”を完成させたのです。
その味が、今なお受け継がれています。
その後、お店の近くにハイウェイが新設された事により経営が悪化し閉店してしまいますが、不屈のカーネルは“フライドチキンのレシピを教える代わりに売れたチキン1個につき5セントを受け取る”といるフランチャイズビジネスを65才から始めたのです。なんとこれが大成功し、75才の頃にはチェーン店は世界中に600店舗以上となりました。
普通は定年退職する年代ともいえる65才から新しい事業を始める何で、本当に凄いですよね!
世界中を視察して回っていたサンダースですが、日本のケンタッキーが最も忠実に味が再現されていて、1番好きだったらしいです。
日本でのKFC第1号店は1970年11月に愛知県名古屋市に開店した「名西店」とされています。
1971年7月:初の東京進出は(青山店 第5号店)
1971年9月:KFCフランチャイズ第1号店(江の島店開店)
カーネルサンダース像は日本にしかない?!
日本ではお馴染みとなった店頭のカーネルサンダース像ですが、実は世界中で日本にしかいないのです。
もともの日本ではフライドチキンを手づかみで食べるという習慣がなかった事もあり、あの「赤と白のシマシマ店舗」は何屋さんか分かりづらかったそうです。
中には床屋さんと間違えてしまう人もいる始末です。
そんな中、日本ケンタッキーフライドチキンの幹部が北米を視察した際に偶然、カーネルサンダース像を倉庫で見つけたのです。もともとはカナダのイベントで使用されていたものらしいですが、これは使えると思ったのでしょう。
日本では、このカーネルサンダース像を店舗前に置く事により、無名だったケンタッキーを認知してもらえるようになったのです。
カーネルサンダース像トリビア
- カーネルサンダース像は、60才の時のサンダースさんを忠実に再現している。(身長180㎝、体重60㎏)
- カーネルサンダース像のメガネは本物の老眼鏡で度数は3.25と決まっている。しかも産地は世界でもメガネ産地として有名な「福井県鯖江」産。
- 繁華街では通行の邪魔になる場合もあるので置いていない店舗もある。(全国約1150店舗のうち、1000店舗にはある)
- 1985年の阪神タイガース優勝の際、熱狂したファンが像を胴上げし、道頓堀に投げ込んでしまった。その24年後(2009年)に川底から見つかり奇跡の帰還を果たした。
- 2018年以降、座っている像が登場している。(お子様の目線でも身近にふれあえるようにベンチに座っている)
もっと詳しくしりたい方は、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の公式ホームページにて詳しく紹介されています。
コメント